虹の発生過程について

何もなさず、何も感じずに生きられたらどんなにいいことだろう?

アフリカの名称について。あるいは地名というものの言葉あそび

 古代のギリシア人は世界を三つに区分した。その一つがヨーロッパであり、一つがアジアであり、一つがアフリカであった。尤もアフリカとはローマ人の言葉であり、ギリシア人自身はそれをリビアと呼んだわけだが。
 その区分が驚くことに現在でも変わらず──例え若干の修正を経てはいても──使われ続けているのだ。今から見れば、その当時は世界のごく限られた範囲しか知らなかったとんだ時代錯誤だと思わないか?
 おのれギリシア人!
 
 アフリカの語源については不詳だが「日の落ちる場所」という説があるらしい。そしてギリシア・ローマ人にとってアフリカと言えば本来、ヨーロッパの対岸、エジプトとかモロッコとかチュニジアが並ぶ海沿の地域だった。アラビア語ではイフリーキヤifrikiyaと訛り、北アフリカアラビア語マグリブmagribも「夕暮時」を意味する。さらに海峡を隔てて、スペインという名称も「日の沈む場所」という意味らしい。信じられない偶然だが、「日本」とは素晴らしい対称を為している。
 当然ローマ帝国があった頃にはその内陸については知る由もなかった。確かにヘロドトスの「歴史」にはフェニキア人がエジプト王の命令を受け、アフリカを周航したとの伝説がある。だが1800年くらい経ってヴァスコ・ダ・ガマが本当にアフリカを越えて海路を開拓する以前は検証してみた人間がいなかった。


 アジアも元々は狭い場所だ。かつてはアナトリア半島(トルコの大部分な。これをトルコ語でanadoluという)だけをアジアと呼んでいた。だがそれよりも向こうに大地が続いていることを知るとギリシア人は小アジアと呼び直すようになっていた。それ以降はもう、メソポタミアからインドに至るまでの地域の人間をアジア人と十把ひとからげにまとめてしまい、その慣習が何気に今でも残っている。
 あれだけの多様な地域をアジアという言葉で表してしまうのは、ひどい暴挙ではないかと思う。「アジアは一つ」だと? ふざけるな……!

 


 古い本朝の人も、世界を震旦(中国)、天竺(インド)とかごく限られた数の国でしか認識していなかったわけだ。もしこの世界観を無理矢理地球規模に当てはめるなら、天竺であったインドはそれがごく一部でしかなかったことが判明して小天竺となり、中東やヨーロッパが西天竺とでも呼ばれるのだろうか。シベリアや中央アジアは北震旦とでも?
 ペルシアのことを中国では古く波斯とも書いたし、ここに東とか西とか追加して地域を限定してみようか。
 だが宇津保物語に出てくる波斯国は南洋の島だという。ここからは昔の日本人の世界観が、外との交流の少なさ故、乏しいものではなかったか、というような気がする。


 こんなものはごくつまらない言葉遊びだとしても、結局地球の地形を人間が勝手に名付けしていく以上、どんな地名も言葉遊びなのかもしれないよ。