虹の発生過程について

何もなさず、何も感じずに生きられたらどんなにいいことだろう?

外国語で小説を書きたい!

 久しぶりにスペイン語の本を音読した。もう勉強し始めて四年経つけど、いまだに聴取ることが鬼門すぎるね。書くことや読むことでしか僕はうまくなれないのだ。正直な話をすると、聴くのってなかなか難しいんだよな……
 日本語を含めて、きりのいい数字で九つくらい習得したいなと。壮大すぎる目標。

 語学学習は生涯をかけて取り組まなければならないことだ。言語は学ぶのが大変なわりには、学び続けるのが難しい。いろんな書物を精読し、多読する必要があるだろうし、自然な発音や言葉遣いを学ぶためには母語話者とも話さなければならない。
 僕はその言語で小説を書けるくらいにうまくなりたいな、って思っている。つまり、僕は外国語を学ぶことを単なる教養で終わらせたくはない。それは実用に供さなければならない。外国語は使うことでしかうまくならないのだっ

 ◇

 いいよね。外国人が日本語で創作活動をするのって。その逆も珍しいことではない。言語は時として民族の垣根を越える。というより、越えざるを得ない。色んな文化を渡り歩く人間にとっては。
 難しい言葉ではExophonyとでも言うみたいだね。僕はあまりこの辺に関してはよく知らないけれど、まあ外国語としての英語で、何か専門に書く人は沢山いるのだろうけど、それ以外の言葉で文学をやろうとしてる人となると、めっきり数が減りそうだ。

(漫画やアニメで日本語を学んだ人のことはよく話題に上るし、K-popやドラマで韓国語を習得した人も結構いそうだけど、ハリウッド映画で英語上達した話は寡聞にして聞かない)

 何より、違う言葉で書くことは脳に刺激を与えるだけではなく、自分と他者の違いをよく知ることができる。またその違いを人に伝えることもできる。
 僕もそれを真似したいと思った。あまり人がやらなさそうなことをしない手立てはないからさ。
 多分、どう見られるかってことだ。ほとんどの人間は自分から外国語で何かを書こうとは思いもつかないだろう。ましてそれをやりたいとも望まない。だって外国語をわざわざ使わなければならないというのは不便だし、生まれ持った境遇ならまだしも自分からアイデンティティの境目の上に立つのは、時と場合にとってはとても勇気のあることだと思う。

 ……外国語で小説を書けば注目されるんだろうか。母語で何かを書いても面白くないからさ。だってすでに日本語で書かれた文章は飽和している。どう頑張っても、読まれるかどうかなんて運でしかないじゃないか……。

 日本語の作品はすでに飽和しているし。他の言語はもっと飽和しているだろう。だから母語ではない言語で創作活動をした所で別に特段注目されるわけではない。まして読まれたところで高く評価されるわけでもない。
 いや、他の国の人間に受けようとなんて最初から思ってないんだよ。

 どの言語で書くかっていうのは、ある人にとっては単なる趣味だろうが、また別の人間にとってはアイデンティティの問題だ。読まれる人の感情と、歴史を背負うことでもある。だからそういうのに積極的に関心を持とうとしない僕の試みはあまりに軽すぎるのかもしれない。
 
 それをやってみたいと思うのは、僕の知的好奇心が刺激されることであり、面白いことだと思うからだ。僕は有益なことと面白そうなことしか目指さない性格だから。
 

出典: 

note.com

中途半端な嘘ほど怖いものはない――徒然草代第73段

 世の中で語り伝えられることの現実は面白くないのだろう、大体嘘八百だ。
 実際にあったことよりも盛って作り話をするのが人間のサガだが、まして時間が経って誰もが言いたい放題に語り散らし、文章にも書かれると、本当に事実だということになってしまう。
 あらゆる芸の素晴らしい人間その道に通じていない人間は何ごとでも「神!」と褒めたたえるが、海千山千の方々は信じようともしない。聞くときと見る時とは何事も変わるものなのさ。

 嘘がばれつつあるのに、頑なに「ほんとだよ!」と言い散らすのなら浮くばかりだ。
 自分自身は心からそう思っているわけではないのだが、
 自分にとって都合のいい嘘は否定しにくい。
 本当はそうじゃないと思っていながら、不確かなことを言うふりをしつつ、現実を巧みにつじつま合わせた嘘ほど恐ろしいものはない。

 またたく間にもてあそび草になった話題は、一人「そういうもんか?」と疑う人がいても、話題にならないどころか、そんな人間ですら証人だってことになっちまう!
 いずれにしろ嘘だらけのこの世界。身分の低い人間の間では耳を疑うような話がたくさん転がってる。レベルの高い人間は変な話なんてしない。

 だからって仏の功徳や聖人の伝記まで疑いだすなよ。世の中のほとんどの嘘を本気になって信じたり、逆にとやかく否定するのも馬鹿らしいから、むやみに信じなかったり、馬鹿にしたりするなってことだ。

……

 嘘とは果実。誰かにとっては苦く、誰かにとっては甘いもの。
 兼好法師が生きていた時代にも嘘の恐ろしさが十分認識されていたわけだね。嘘を嘘だと分かっていても都合がいいから事実だと言い張る奴もいるほどなんだぜ。
『嘘だらけのこの世界で』ああ、何かの小説になりそうなタイトルじゃありませんか。

 原文にある『おごめく』(……鼻のほどおごめきて言ふは……)というのはしばしば『うごめく』の異形として解釈されるが、『をこ(尾籠)めく』の間違いだそうだ。(白石良夫『古語の謎』(中公新書、2010年11月)より)

 たとい信じていなくても、何かの噂を黙って見過ごしている内にその信者にさえされてしまう――これは由々しき問題だ。だからみんな、ある一言を事実・現実にしないために頑張っているんだろうが。これは社会とか世論といった分野では特に重みをもって響く言葉だよね。
 僕も、何かの嘘を本当にしないために何かできるのだろうか。

 今の時代はネットによって噂が広まりやすい。嘘だったり、真相の不明な話はネット上にもたくさんある。
 ただ昔と違うのは、嘘か本当かすぐに分かってしまうのと、噂自体がすぐに霧消してしまうことだ。この時代は情報の伝達が今ほど速くないから、噂が残り続けて一種の伝説に昇華していくのもそんなに珍しくなかったのかもしれない。現代は口承というのはほとんど廃れてしまったように思う。書いた内容が違う人に次々と伝達されていき、もはや由来が不明だが一種のネタとしてネット上に定着する現象はその流れを組むものと見てよいのかどうか。

 何事も疑わずにはいられないが、だからといって聖人の伝記を疑うべきではない、という所に時代を感じる。とにかく妄信するのでもなく、ひたすらに不信なわけでもないという態度を貫くべきだ、とする結論には未来人として好感が持てるのである。

(本来は民衆を扇動する政治家という意味の言葉であるギリシャ語demagogosから派生したデマという言葉が、単に『嘘』という意味にまで下っているのはどういう了見だ?)

後ウマイヤ朝年表

711年 ターリク・イブン・ズィヤード、西ゴートに侵入して、七月十九日にグアダレテの戦いで勝利し、同国をウマイヤ朝に併合する。以降その領土はアンダルスと呼ばれるようになり、太守が統治する


718年 西ゴート王族ペラヨ、コバドンガの戦いで勝利。後世、国土再征服運動の嚆矢とみなされる


732年 十月、トゥール・ポワティエの戦い。ガーフィキーが南仏に侵入するが、フランク王国宮宰カール・マルテルが破る


750年 ウマイヤ朝が滅び、アブー・アッバースが王族を粛清するなかで、アブドゥッラフマーン一世がイベリア半島に逃れる


756年三月 アブドゥッラフマーン一世、現地の総督ユースフ・フィフリーに勝利し、ウマイヤ朝の継続した支配者となる。なおその称号はアミール(首長)であった


818年三月二十五日 民衆の蜂起を鎮圧するため、コルドバで市街戦が起きる


ロンスヴォー峠の戦い。シャルルマーニュ後ウマイヤ朝軍に敗れ、またバスク人の追撃で黄金を奪われる


850年代 キリスト教徒が突発的にイスラームを冒涜し、自発的に処刑される事件が連発する。


859年三月十一日 エウロギウス処刑される


879~927年 ムワッラド(イベリア半島の土着民でムスリムに改宗した者)、ウマル・イブン・ハフスーンの反乱。ウマルはこの反乱のさなか、キリスト教に改宗した。


929年 アブドゥッラフマーン三世、コルドバでカリフを名乗る。


976年 侍従アルマンソル、ヒシャーム二世を傀儡として専制政治を始める


985年七月 アルマンソル、バルセロナを占領し破壊。バルセロナ伯ボレル二世はフランク王国からの独立の必要性を痛感、カタルーニャ国家形成の発端となる。


997年 アルマンソル、サンティアゴ・デ・コンポステラを破壊。この地はその後「モーロ人殺し」(Matamoros)の聖ヤコブの聖地として知られていく


1002年 アルマンソル、メディナセリで病没。この地は後にエル・シッドのモデルとなるロドリゴ・ディアスの生まれた場所となる


1009年 カリフ、ヒシャーム二世暗殺される


1031年 後ウマイヤ朝、ターイファといういくつもの小国に分裂

生まれ育った場所を離れたい気持ち

 自分が生まれ育った場所に対する愛着って、持つのが普通なんだろうか。確かにそうあるべきだ、と求められるのかもな。故郷とは確かに懐かしいとか安心感とかいったイメージで語られることが多いよ。


 でも人にとっては、故郷なんていうものは忌まわしい記憶や感情によって捉える他はないものだったりするのじゃないのか。
 少なくとも僕の場合は、今すぐ生まれ育ったこの地を離れたくて仕方がない気持はある。片田舎だし、面白いものがないし、何しろ学校ではいい思い出がなかった。無論語り継ぐべき物がここにあるかもしれないし、別の場所からやってきた人にとっては、この町こそが住むに値すると思えるのかもしれないが、僕にとってはあまりそう信じられないだけの話。


 故郷とすべきものは、別の地域だっていいし、日本でなくてもいい気はする。
 日本人だからこそ日本以外のどこか遠くに憧れるものなんじゃないのか。自分達とは違う文化や風土のもとに生活している人々に興味を抱き、調べ尽くして、気づいたら彼らより彼らのことに詳しくなっている。
 むしろそれが自然なんじゃなかろうか。自分が元から知ってると思込んでいるものを再発見して、改めて関心を持つってなかなか難しい。母国というのは、それを中心として世界を見渡すばかりではない。それに対する嫌悪感が──しばしば自己嫌悪と一体化するんだけど──自分の生まれた場所への固定観念なり偏見を抱かせてしまうものだから。


 他の国に行って、そこの人たちと仲良くして、骨を沈める。そういう人生に俺は興味を持つし、あこがれている。でも、楽しいことではないだろうね。だって大抵誰かと一緒になって生きていく道には誤解や苦労が耐えず付きまとうものだから。自分が全く繋りを持たなかった異郷では尚更のことだ。


 けど数世代経ったら、自分の子孫にとってやはりその故郷というのはやはり見慣れた、面白味のないものになってしまうのだろう。


 けどやはり発見や驚きを伴わない人生には生きるための強い目的など現れてこないだろう。できることなら、僕は知らない故郷を見つけたい。できることなら、すがり付きたい。やはり、今いる場所を離れたい気持ちがそれだけ強いんだよな…。

グラナダ陥落

 1492年1月2日、ナスル朝最後の王ボアブディルグラナダの鍵をカトリック両王に明け渡した。七百年以来続いた征服運動の終末であった。
 もっともその百年以上前からスペインのイスラーム勢力はすでに南のごく限られた範囲の自治を認められているに過ぎなかった。一時は本当に北まで進出して南仏にまでやって来たこともあるがそれはごく数十年間のことに過ぎない。そして、キリスト教徒たちが勢力を伸ばしていけば行くほど、ムスリムは逆に南へと追いやられていったのだ。


 同年、ユダヤ人の追放令が出された。ユダヤ人は経済と文化的な発展において大きな貢献を果たしていたが、もはや敵がいなくなることでその効果を期待されなくなっていた。おまけに、キリスト教という主義をかかげるスペインの為政者や大多数の国民にとって彼らは理解のできない少数派に過ぎなかった。
 故郷に止どまりたいのなら、キリスト教を受け入れてその中に溶け込んでいく他はなかったのである。
 だが彼らを待っていたのは人間を血と出自においてどこまでも厳しく裁く異端審問の嵐だった。何百年もの間、お互いの他社の他者の境界線が曖昧だった世界に対するずっと反動は大きかった。そしてこの影響が近代にまで及んだのである。


 かつてはイスラーム文明の中心だった場所が消えてしまったというのは僕の郷愁をそそる。一応、ムスリムはその後百年近くスペインの中に住むことを許されるが、やがて彼らも追放の憂き目に会うわけだ。そう考えると意外に遠い昔の話ではなく、ごく最近の出来事。


 アメリカ大陸の侵略はこのレコンキスタの延長線上にある。敵を作り出さなければ安定した秩序を構成できない人間のかなしき性がここに現れていると言える。 

十字架

ラテン語 crux
ギリシア語 stauros


 十字架はキリスト教でもっとも使われる図柄であるが、本来これは忌まわしい物以外の何者でもない。よく考えれば処刑の道具だからだ。
「もしイエス・キリストが近代に死んでいたら、キリスト教徒は首に電気椅子を提げていただろう」というジョークすらある。


 旧約の律法にもあるように、木にかけられた者は呪われた存在であって、本来なら神聖では決してありえない。パウロは神の子がその呪われた者として死に、復活した所に死や呪いへの勝利、人類の救いという要素を見る。これが十字架の、神聖さを示す物として使われる根拠となっている。だから十字を切るという儀式がある。
 以前僕が訪れた古代ギリシア美術の展覧会でも、一番最後、新しい時代の方に展示されていた異教の神像の額に十字の刻印があった。旧来の神々はキリスト教の国教化とともに悪魔とされたので、それを聖なる物にする必要があったのだろう。


(もしイエスが斬首など、肉体を激しく損傷するような方法で処刑されていたなら、復活できなかったのではないかと想像されて感慨深い)


 十字架は古くはカルタゴで行われに起源を発するらしく、簡単に死なせず、肺を圧迫させることにより窒息と激痛をもたらす。しかもこの極刑がローマの時代には盛んに行われていた。特にすでに処刑された人間が磔にされて見せしめにされる、ということはそれより頻繁にあった。


 処刑はこの時代見せ物であって──現代人は目の前で人間が苦しむのを見ていられないだけに過ぎない──縄や木があればいい磔刑は非常によく用いられる処刑法だった。ローマでは十字架という言葉が罵りとして使われたほどである。
 イエスが死を遂げたゴルゴタの丘ゴルゴタとは頭蓋骨である。つまり引き取る人もなく鳥のついばむままに任せた遺骸がそこら中に掲げられている光景を的確に指しているのである。幸いにもイエスは遺体を引き取って埋葬してくれる人がいたからそんな目には会わなかった。


 無論、こういう負のイメージを身近に知っていた時代の人々の誰もが十字架を絵に表していたという訳ではない。
 初期キリスト教徒にとっては魚がよく象徴に用いられた。ギリシア語で魚を表すイクトス(ichthys)が、「イエス・キリスト(Iesous christos)、神の子(hyios theu)、救世主(soter)」の略と解釈されたからだ。


「十」の字を天地逆にした形をぺトロ十字と呼ぶのは、使徒ペトロが──迫害からの逃亡を企てた時、主の幻影を見てあの有名な言葉"quo vadis, Domine?"を残した後──ローマで殉教する時、イエスと同じやり方で殺されるのを憚って、逆さまの状態で磔にされた故事からきている。(皮肉にも、これが悪魔や反キリスト教的な図像として解釈されたりもする)


 この十字架という他にも色々な図形が派生している。
 例えばケルト十字はアイルランドの美術でよく登場する、十字と太陽を組み合わせた図像であり、宗教のシンクレティズム(習合)が見られる。イギリスのリンデスファーン修道院などにそれを模した石碑が残っている。

アフリカの名称について。あるいは地名というものの言葉あそび

 古代のギリシア人は世界を三つに区分した。その一つがヨーロッパであり、一つがアジアであり、一つがアフリカであった。尤もアフリカとはローマ人の言葉であり、ギリシア人自身はそれをリビアと呼んだわけだが。
 その区分が驚くことに現在でも変わらず──例え若干の修正を経てはいても──使われ続けているのだ。今から見れば、その当時は世界のごく限られた範囲しか知らなかったとんだ時代錯誤だと思わないか?
 おのれギリシア人!
 
 アフリカの語源については不詳だが「日の落ちる場所」という説があるらしい。そしてギリシア・ローマ人にとってアフリカと言えば本来、ヨーロッパの対岸、エジプトとかモロッコとかチュニジアが並ぶ海沿の地域だった。アラビア語ではイフリーキヤifrikiyaと訛り、北アフリカアラビア語マグリブmagribも「夕暮時」を意味する。さらに海峡を隔てて、スペインという名称も「日の沈む場所」という意味らしい。信じられない偶然だが、「日本」とは素晴らしい対称を為している。
 当然ローマ帝国があった頃にはその内陸については知る由もなかった。確かにヘロドトスの「歴史」にはフェニキア人がエジプト王の命令を受け、アフリカを周航したとの伝説がある。だが1800年くらい経ってヴァスコ・ダ・ガマが本当にアフリカを越えて海路を開拓する以前は検証してみた人間がいなかった。


 アジアも元々は狭い場所だ。かつてはアナトリア半島(トルコの大部分な。これをトルコ語でanadoluという)だけをアジアと呼んでいた。だがそれよりも向こうに大地が続いていることを知るとギリシア人は小アジアと呼び直すようになっていた。それ以降はもう、メソポタミアからインドに至るまでの地域の人間をアジア人と十把ひとからげにまとめてしまい、その慣習が何気に今でも残っている。
 あれだけの多様な地域をアジアという言葉で表してしまうのは、ひどい暴挙ではないかと思う。「アジアは一つ」だと? ふざけるな……!

 


 古い本朝の人も、世界を震旦(中国)、天竺(インド)とかごく限られた数の国でしか認識していなかったわけだ。もしこの世界観を無理矢理地球規模に当てはめるなら、天竺であったインドはそれがごく一部でしかなかったことが判明して小天竺となり、中東やヨーロッパが西天竺とでも呼ばれるのだろうか。シベリアや中央アジアは北震旦とでも?
 ペルシアのことを中国では古く波斯とも書いたし、ここに東とか西とか追加して地域を限定してみようか。
 だが宇津保物語に出てくる波斯国は南洋の島だという。ここからは昔の日本人の世界観が、外との交流の少なさ故、乏しいものではなかったか、というような気がする。


 こんなものはごくつまらない言葉遊びだとしても、結局地球の地形を人間が勝手に名付けしていく以上、どんな地名も言葉遊びなのかもしれないよ。