虹の発生過程について

何もなさず、何も感じずに生きられたらどんなにいいことだろう?

伊東俊太郎「十二世紀ルネサンス」感想

今週のお題「読書の秋」

 イスラーム世界の歴史が面白いのは、イスラームという宗教が絶対的に優位を占める社会でありながらその陰にイスラーム以前の宗教がそこに見隠れすることだ。
 ヨーロッパではカトリック教会が絶大な権力を持ってそれ以外の宗派を「異端」と弾劾して徹底的に排除、抹殺したのとは違い、イスラーム世界ではイスラーム以外の宗教の信仰を人頭税や土地税の見返に許した。だから現代に至るまで、キリスト教会の少数派――コプト教会ネストリウス派など――が生き残っている。

 そのイスラーム世界で活躍したキリスト教徒としてまず代表格と思うのが、フナイン・イブン・イスハーク。アッバース朝時代の人物で、ギリシアの古典をイスラームの言語、アラビア語に翻訳する際多大な貢献をなしとげた。アリストテレスユークリッドなど、古代な膨大な知識をアラビア語話者が学ぶことを可能にしたのである。
 そして、イスラーム教徒たちは自らの力で古代の技術を独自に昇華していったのである。イブン・スィーナーやイブン・ルシュドといった哲人の名前は教科書にも載っていたはず。
 翻訳は実に重要な事業だ。翻訳がなければ自分たち以外の地域にある言語で書かれた情報を読むことさえできない。今だって、海外の文学や歴史を僕らが理解できるのは外国語の文章を翻訳する人々の努力があってこそ。まさに、生活になくてはならない物なのである。

 そもそもイスラーム世界こそがヨーロッパより優れている先進地域であった、ということは覚えていて損はない。一時はギリシアやローマに奪われた古代オリエントの繁栄を取り戻すかのようにイスラームという宗教はメソポタミア全域に広まり、軍事的な征服の末に一時はスペインやシチリアにまで到達。
 そう、今あるヨーロッパ世界の一部がイスラームという宗教に支配されていた事実、これも今の世界の成立を知る上で無限く大切。

 重要なことは、シチリアとスペイン、この二つの地域を通してヨーロッパへと持ちこまれ、ラテン語に訳され、ヨーロッパの学術が発展するのを大いに助けた、ということだ。
 シチリアは十一世紀、ヴァイキングに起源を持つ一派ノルマン人がやってくる前までイスラーム教徒の支配下にあった。スペインはそれこそ七世紀末にイスラーム教徒によって征服され、以後北のキリスト教勢との果てしない領土の争奪戦が何百年も繰り返されていたのである。いずれも、イスラームに属する物をいやでも理解しなければならない環境にいた。
 特に、シチリアの場合は東ローマ帝国支配下に入っていたこともあり、ギリシア語を話すギリシア正教会の信徒も多く暮らしていた。それで彼らの力を借り、アラビア語の文献だけでなくギリシア語の文献を翻訳することも行われた。

 陸地や海に何か名前を付けて区別することがどれほど無意味で、誤謬をもたらすか、ということがこの本でよく分かる。国や宗教といった境目を軽々と飛越えてしまう躍動感があるのだ。外から来た文化を吟味し、それを自家薬籠中に収めてしまう才能が、いつの時代にも求められてきた。
 言語を訳し、知識をみんなに伝える……か。まさしく、言語を理解するためにはその土地に行ってその土地の人々と交流することがいいよなあ。実際、そうやって知見を広めた人間があの時代にたくさん現れたわけだから、現代のグローバル化なんぞは目じゃない。
 僕にはなれそうにもないな……と思ってしまう。今とは違って、知識を求めることが大きな困難を伴った時代だったからこそ、その成果もとんでもなくでかいものになった。それが現代では、知識を求めることは一気に簡単になってしまったような錯覚。その錯覚が一番いけないのだ、とは思う。

 知識の価値が、ずっと重く、尊ばれていた期間の方がずっと長いのだから。