グラナダ陥落
1492年1月2日、ナスル朝最後の王ボアブディルはグラナダの鍵をカトリック両王に明け渡した。七百年以来続いた征服運動の終末であった。
もっともその百年以上前からスペインのイスラーム勢力はすでに南のごく限られた範囲の自治を認められているに過ぎなかった。一時は本当に北まで進出して南仏にまでやって来たこともあるがそれはごく数十年間のことに過ぎない。そして、キリスト教徒たちが勢力を伸ばしていけば行くほど、ムスリムは逆に南へと追いやられていったのだ。
同年、ユダヤ人の追放令が出された。ユダヤ人は経済と文化的な発展において大きな貢献を果たしていたが、もはや敵がいなくなることでその効果を期待されなくなっていた。おまけに、キリスト教という主義をかかげるスペインの為政者や大多数の国民にとって彼らは理解のできない少数派に過ぎなかった。
故郷に止どまりたいのなら、キリスト教を受け入れてその中に溶け込んでいく他はなかったのである。
だが彼らを待っていたのは人間を血と出自においてどこまでも厳しく裁く異端審問の嵐だった。何百年もの間、お互いの他社の他者の境界線が曖昧だった世界に対するずっと反動は大きかった。そしてこの影響が近代にまで及んだのである。
かつてはイスラーム文明の中心だった場所が消えてしまったというのは僕の郷愁をそそる。一応、ムスリムはその後百年近くスペインの中に住むことを許されるが、やがて彼らも追放の憂き目に会うわけだ。そう考えると意外に遠い昔の話ではなく、ごく最近の出来事。
アメリカ大陸の侵略はこのレコンキスタの延長線上にある。敵を作り出さなければ安定した秩序を構成できない人間のかなしき性がここに現れていると言える。