後ウマイヤ朝年表
711年 ターリク・イブン・ズィヤード、西ゴートに侵入して、七月十九日にグアダレテの戦いで勝利し、同国をウマイヤ朝に併合する。以降その領土はアンダルスと呼ばれるようになり、太守が統治する
718年 西ゴート王族ペラヨ、コバドンガの戦いで勝利。後世、国土再征服運動の嚆矢とみなされる
732年 十月、トゥール・ポワティエの戦い。ガーフィキーが南仏に侵入するが、フランク王国宮宰カール・マルテルが破る
750年 ウマイヤ朝が滅び、アブー・アッバースが王族を粛清するなかで、アブドゥッラフマーン一世がイベリア半島に逃れる
756年三月 アブドゥッラフマーン一世、現地の総督ユースフ・フィフリーに勝利し、ウマイヤ朝の継続した支配者となる。なおその称号はアミール(首長)であった
818年三月二十五日 民衆の蜂起を鎮圧するため、コルドバで市街戦が起きる
ロンスヴォー峠の戦い。シャルルマーニュが後ウマイヤ朝軍に敗れ、またバスク人の追撃で黄金を奪われる
850年代 キリスト教徒が突発的にイスラームを冒涜し、自発的に処刑される事件が連発する。
859年三月十一日 エウロギウス処刑される
879~927年 ムワッラド(イベリア半島の土着民でムスリムに改宗した者)、ウマル・イブン・ハフスーンの反乱。ウマルはこの反乱のさなか、キリスト教に改宗した。
929年 アブドゥッラフマーン三世、コルドバでカリフを名乗る。
976年 侍従アルマンソル、ヒシャーム二世を傀儡として専制政治を始める
985年七月 アルマンソル、バルセロナを占領し破壊。バルセロナ伯ボレル二世はフランク王国からの独立の必要性を痛感、カタルーニャ国家形成の発端となる。
997年 アルマンソル、サンティアゴ・デ・コンポステラを破壊。この地はその後「モーロ人殺し」(Matamoros)の聖ヤコブの聖地として知られていく
1002年 アルマンソル、メディナセリで病没。この地は後にエル・シッドのモデルとなるロドリゴ・ディアスの生まれた場所となる
1009年 カリフ、ヒシャーム二世暗殺される
1031年 後ウマイヤ朝、ターイファといういくつもの小国に分裂