虹の発生過程について

何もなさず、何も感じずに生きられたらどんなにいいことだろう?

十字架

ラテン語 crux
ギリシア語 stauros


 十字架はキリスト教でもっとも使われる図柄であるが、本来これは忌まわしい物以外の何者でもない。よく考えれば処刑の道具だからだ。
「もしイエス・キリストが近代に死んでいたら、キリスト教徒は首に電気椅子を提げていただろう」というジョークすらある。


 旧約の律法にもあるように、木にかけられた者は呪われた存在であって、本来なら神聖では決してありえない。パウロは神の子がその呪われた者として死に、復活した所に死や呪いへの勝利、人類の救いという要素を見る。これが十字架の、神聖さを示す物として使われる根拠となっている。だから十字を切るという儀式がある。
 以前僕が訪れた古代ギリシア美術の展覧会でも、一番最後、新しい時代の方に展示されていた異教の神像の額に十字の刻印があった。旧来の神々はキリスト教の国教化とともに悪魔とされたので、それを聖なる物にする必要があったのだろう。


(もしイエスが斬首など、肉体を激しく損傷するような方法で処刑されていたなら、復活できなかったのではないかと想像されて感慨深い)


 十字架は古くはカルタゴで行われに起源を発するらしく、簡単に死なせず、肺を圧迫させることにより窒息と激痛をもたらす。しかもこの極刑がローマの時代には盛んに行われていた。特にすでに処刑された人間が磔にされて見せしめにされる、ということはそれより頻繁にあった。


 処刑はこの時代見せ物であって──現代人は目の前で人間が苦しむのを見ていられないだけに過ぎない──縄や木があればいい磔刑は非常によく用いられる処刑法だった。ローマでは十字架という言葉が罵りとして使われたほどである。
 イエスが死を遂げたゴルゴタの丘ゴルゴタとは頭蓋骨である。つまり引き取る人もなく鳥のついばむままに任せた遺骸がそこら中に掲げられている光景を的確に指しているのである。幸いにもイエスは遺体を引き取って埋葬してくれる人がいたからそんな目には会わなかった。


 無論、こういう負のイメージを身近に知っていた時代の人々の誰もが十字架を絵に表していたという訳ではない。
 初期キリスト教徒にとっては魚がよく象徴に用いられた。ギリシア語で魚を表すイクトス(ichthys)が、「イエス・キリスト(Iesous christos)、神の子(hyios theu)、救世主(soter)」の略と解釈されたからだ。


「十」の字を天地逆にした形をぺトロ十字と呼ぶのは、使徒ペトロが──迫害からの逃亡を企てた時、主の幻影を見てあの有名な言葉"quo vadis, Domine?"を残した後──ローマで殉教する時、イエスと同じやり方で殺されるのを憚って、逆さまの状態で磔にされた故事からきている。(皮肉にも、これが悪魔や反キリスト教的な図像として解釈されたりもする)


 この十字架という他にも色々な図形が派生している。
 例えばケルト十字はアイルランドの美術でよく登場する、十字と太陽を組み合わせた図像であり、宗教のシンクレティズム(習合)が見られる。イギリスのリンデスファーン修道院などにそれを模した石碑が残っている。