虹の発生過程について

何もなさず、何も感じずに生きられたらどんなにいいことだろう?

日本での「他者」観

 日本人が日本の歴史を観る時、日本人からの視点があまりにも大きすぎて、しばしば日本以外の地域や民族に出自を持つ人が日本のありようを形づくってきた道程を軽視する傾向がある。
 たとえば東京、八重洲という地名はオランダ人の航海士ヤン・ヨーステンに由来するし、伊万里焼や盛岡冷麺はいずれも朝鮮出身の人だ。ざっと僕が知っている例をあげただけでもこういうものがあるし、他にも色んなものが出てくるだろう。
 
 大体、日本の総人口の60人に一人が外国人の血を引いているという時代なのだ。日本の人口が減少し、一方でこの比率はもっと大きくなるはずなのである。
 それにしては、日本が日本人を中心に構成されているという固定観念がいまだ崩れないのはどういうことか。
 多分、外国人や他、民族的少数派がニュースとかで取上げられる際、社会的な問題と関連づけて説明されることが多すぎるからではないか。日常生活で、生身の人間として付き合っている時、国とか人種とかをあまり考えたりしないのが常なのだから。そういう時は「外国人」と相手を観る考えなど浮かんでこないからだ。
 「外国人」という言葉で定義すると内実の不明瞭な集団となり、どうしても峻別してしまう傾向が出る。本来はこの境界線上にいる、どちらとも言えないと考えている人がいるはずなのに。これは自分でも反省しなければなるまいと思う。
 取沙汰されるのは決まって問題がある件なのだから、溶けこんでいる人たちが認知の対象に入ってこないのは当然のことだ。
 この日本で「外国人」と言う時、それは大抵身近な存在ではなく、どこか遠くにいる人々なのだ。しかも、憧れか、もしくは不安要素という実に空疎な感情が伴ってしまう。僕はテレビをあまり観ないけれども、でも多分そういうイメージで染まっているのではなかろうか。
 その言葉を用いる時、一人一人の事情に目を向けようとする態度が欠落している。移民問題を論じる際にも、あまりに移民がまだ来ていない人々、来たらどうなるか分からない人々として捉えられ過ぎていて、すでに日本にいる難民への視点というものは何ら顧慮されない。

 案外、社会の変化というものはいつもこういう風なのかもしれん。アナトリア半島がトルコ化したのは世界史的に察て大事件だが、当の人々にとってはさほど気にすべきほどのことでもなかったのかもしれない。なぜなら、その現象はあまりに遅く、そして、紆余曲折に満ちたものだった。何より、今ほど社会を大きな眼で察る道具がなかったのだから。無論、現代でもそんなものが手に入っているとは思われないけれども。